推しと宇宙とアンモナイト

好きがあふれて言葉になりました。

ふたつの幻影〜マスカレイドミラージュ考察〜(後編)

前回までのあらすじ
愛とリスペクトに満ちた舞台の幕が降りた。
しかし、俺たちの戦いはまだ終わらない――。
そう、円盤発売およびリリースイベントはこれからだ!

ふたつの幻影〜マスカレイドミラージュ考察〜(中編) - 推しと宇宙とアンモナイト

 たくさんの拍手に包まれて千秋楽を迎えたマスミラ再演。
 その興奮をもう一度ご家庭で、というわけで約4ヶ月後、Blu-ray/DVD及びオフィシャルビジュアルブックが発売されました。

 円盤の見どころはたくさんあるのですが、限定版特典映像「Shall we date?~僕たちのエスコート~ in 神戸北野異人館街」は全世界にお勧めしたい素晴らしさ。
 また、オフィシャルビジュアルブックは撮り下ろし写真満載、キャストだけでなくほさかようさんと紺野さやかプロデューサーとの対談、音楽・殺陣・衣装・ヘアメイクと各スタッフの皆様へのインタビューも収録された盛り沢山な一冊。


 そして円盤発売を記念して、リリースイベントも開催されました。第1部・第2部とたくさんのマスミラクラスタが集まり、キャストのトークに耳を傾けました。
 イベントのレポートは仔細にまとめてらっしゃる方もいると思うので割愛しますが、公演が終了してからもこうしてお話が聞ける機会があるのはとても貴重で、そして嬉しい事だと思います。
 キャストも、スタッフも、皆さんマスミラを大切にして愛してくださっているのが改めて感じました。


 そして、マスミラ再演を観る上で「仮面」と共に注目すべきは、それぞれの「愛」のかたちなのではないかとわたしは思います。
 プリンスであって、プリンスではない3人の役柄。それはあて書きではあるものの、少しずつ違う心を持っていたのですから。

 まず、シーノ。
 彼は、非常に愛情深い人だと思います。2代目シーノを演じていた田川くんも「シーノは他人のために尽くせる人」と評していましたね。
 シーノが警察官として強くなったのも、大切な人を守るためだけじゃなく、自分のことも守るためだったんじゃないかなとわたしは思っています。レイジーに、シーノを守れなかった後悔を二度と味わわせないために。
 那月の愛は「惜しみなく与える」ですが、シーノの愛は「許す」ことなのかな、と。そう思っています。

 円盤を観ながら思い出を振り返っていた時、シーノは、「僕がレイジーを信じなかったことなんて一度もありませんよ」ってどんな気持ちで言ったんだろうって、改めて考えたのです。
 このあたり、田川くん自身も演じながら解釈を深めて変わっていったんだろうな、って思ったので。
 わたしの個人的な感覚では、東京では純粋な信頼に近いものが、大千秋楽では覚悟を決めた答えに変わっていったように感じました。

 それは、ほさかさんがシーノはもう一人のシーノの存在に気づき始めているのでは、という観点で作ってきたというお話をオフィシャルビジュアルブックで読んだからでもあります。

 レイジーが何かをしようとしている。それは、自分の記憶が時折途切れることと関係あるのかもしれない。
 不安はある。
 でも、やっぱり、自分は大好きなレイジーを信じよう。
 そんな風に移り変わり、揺れる心を僅かな間合いで感じさせてくれたように思いました。
 
 そしてこのシーンを境に、もう一人のシーノの愛もまた、がむしゃらな保護欲から、一歩引いて見守るものに変化したように感じます。
 自分がいなくても、シーノが生きていけるように。それは少し寂しいことだけれど、シーノの幸せでもあるのだから、と。
 二人のシーノは形こそ違うものの、どちらも愛情深い人だとわたしは思っています。


 続いて、レイジー。嶺二とレイジーの愛は、那月とシーノのそれより近いものがあると考えています。
 二人に共通するのは「優しい嘘つき」だということ。レイジーについては、染谷くんも同じように言っていました。
 嶺二はこれ以上自分の心の中に踏み込ませないために、レイジーは周りの人間の期待に応えるために、嘘をつき続けてきました。

 けれど、心から誰かのことを守りたいと思った時、嘘つきの仮面は剥がれ落ちます。
 本当の自分をさらけ出すとき、嶺二も、レイジーも、溢れんばかりの情熱が心の奥底にあったことに気づいたことと思います。

「僕だって人形だった」と、レイジーがアインザッツに呼びかけるシーン。わたしはここで泣けてきてしまうのです。
「誰が信じなくても僕が君を信じる」「自分の生き方は自分で決めろ」――その言葉は、レイジー自身がずっと言われたかった言葉なのではないかと思うので。

 レイジーはシーノが自分を信じ続けてきたことを知り、救われたのではないでしょうか。だからこそ、同じようにアインザッツのことも救いたくて。レイジーとアインザッツの魂がぶつかり合う、凄いシーンだと思っています。何度見ても、震えるくらいに。


 最後にアインザッツ。立場は似ているものの、アインザッツは藍よりずっと感情の振れ幅が激しいように思います。それは、ジェルマン様がより人間らしくと望んだ結果なのでしょうか。

 アインザッツも藍も、人間のこころを学び始めたばかりで、それが「愛」と呼べるものなのか認識できるまでに時間がかかります。
 特にアインザッツは一度、記憶と共にこころ自体を手放してしまうので。

 余談ですが永遠を埋め込まれたアインザッツは、瞬きをしてないんです。円盤で見るとよくわかるのですが、気持ちの揺れをまったく感じない眼差しにぞくぞくしました。
 そして、レイジーの必死の呼びかけをきっかけとして、心がふわっと戻ってくるんです。その瞬間が、見ているこちらにもはっきり伝わるんです。

「見えないところで瞬きしてます」って太田くんは言ってたようですが、ガラス玉みたいな瞳に少しずつレイジーの姿が捉えられていく様子は、見どころの一つでもあると思っています。

 最後のバルコニーのシーンでのアインザッツは、よりいっそう生き生きとした感情に溢れていましたね。シーノに対する微かなジェラシーと、レイジーに「ただ一人の存在」として認めて欲しい願望と。
 まだ自分の中でもあやふやだけれど、レイジーに感じる温かい想いが「またね」という一言に込められているように思いました。


 虚飾にまみれた仮面舞踏会の世界で、3人の愛はきらきらと儚くも強く輝いています。
 仮面の下からも透けて見えるほどに。

「舞踏会が終わっても」
「人生は続いていく」

 レイジーとシーノの言葉は諦めに似ているけれど、確かな希望を込めたものだとわたしは感じました。
 ここで別れ、進む道が異なったとしても、生きてさえいればまたいくらでも出会い直せるし、過ちもやり直せるはずだから。


 アインザッツが高らかに歌い上げたように、仮面を取り去って自分の心のままに生きることを選んだなら。
 人生という舞台の幕が閉じる時に見える景色はきっと、幸せに満ちたものだと3人はそれぞれ信じられたのではないでしょうか。
 永遠ではない命だからこそ、たくさんのきらめきに溢れていることを彼らはもう知っているのですから。


 舞台『マスカレイドミラージュ』は絶望と嘘の中からたくさんの希望と愛を見出すことのできる、再生の物語である――わたしはそんな風に捉えていることをお伝えして、考察の締めとさせていただきます。

 ここまで長々とお付き合いくださり、誠にありがとうございました!



 なお、個人的な趣味によりマスミラ上映会&トークショーおよびSHINING REVUE、「Nobody Knows」MVについて語るエントリも作りたいなあと思っております。